佐伯佑三のアトリエにて。
佐伯
祐三は大正から昭和の初期にかけて活動した洋画家だが、わずか30歳で亡くなったにもかかわらず、彼の人気は今でも高い。大阪出身の彼は、東京美術学校を
卒業し、パリで客死したが、彼が住んだ家が下落合に公園として残っている。母屋は老朽化が進んで取り壊され、残っているアトリエのみ、外から見ることが出
来る。今日、私のアパートから30分程の距離にあるそのアトリエまで行ってみた。途中、手塚治虫や藤子不二夫、石森正太郎などが住んだ事で有名な「トキワ
荘」の跡地の前を通るが、今はその痕跡も残っていない。唯一、藤子の「まんが道」に出てくる中華料理屋の「松葉」が今でも営業しているが、もちろん建物は
新しくなっている。そこでラーメンを食べてみようか?と考えたが、またの機会にして、聖母病院の裏手にあり、住宅地に囲まれた小さな新宿区立「佐伯公園」
に到着。
住宅に囲まれ、彼の宅地がそのまま公園になったので、公園といってもとても狭い。アトリエの前に幾つかベンチが置かれているのが公園らしいが、 その他に彼の履歴を書いたプレートがあるくらい。写真を撮って、帰ろうとしたら入口にお婆さんが立っていたので「こんにちは」と挨拶すると、「裕三さんの 家を見に来たのですか?」と聞かれたので、「ええ」と答えると、「先日は北海道から来た方がいました。あなたはどこから?」というので住んでいる場所を教 えた。「空襲でここら辺は焼けたけど、裕三さんの家と隣の家は残ったんです」といい、すぐ側の家を指さして「この家は私の家だけど、空襲で焼けてしまっ て、その時は千川の土手まで逃げた」などと話し始めた。そして、「今は無いけど、ここに聖母病院に続く細い道があったから、それで裕三さんの家は残ったん でしょうね」と教えてくれた。その後、「私は裕三さんを見たことはないけど、奥さんが住んでいたので、この家の前で絵を描いていた」とか「アトリエの周り は芝生だった」とか教えていただいたのだが、「関東大震災の時は、小さくて良く覚えていないけど、凄く揺れて母に抱かれて逃げた」とか「畑の中に暫く避難 していた」などの話を聞いてビックリ!「失礼ですが、お年はいくつになられますか?」と聞くと、よくぞ聞いてくれたとばかりにニッコリ笑って「幾つにみえ ます?」と聞かれたが、関東大震災を覚えておられるという事は...などと言いながら、考えていると「大正8年生まれです!」と言われた。という事は今年 90歳だ。「90になられるのですか?」と聞くと、「震災の時は4歳でした」としっかり答えられたので本当だろう。
街を写真を撮りながらぶらついていて、東京大空襲の話を聞くことは良くあるが、関東大震災の話を聞いたのは初めて。それにしても驚いた(苦笑)。アトリエの話とかいろいろ教えていただき感謝です。だから街歩きは面白い。
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